新しい生活を夢見て郊外に越してきたゲイカップル。養子として1歳半の赤ちゃんを迎えるはずが、やってきたのはゲイ嫌いで犯罪歴のある15歳の少年だった ――。デリケートな題材を見事に描いた、各国で評判の話題作。

EU Film Days@東京国立近代美術館フィルムセンターで上映してた『Patrik 1,5(パトリックは1.5歳)』(2008年、スウェーデン)をみてきた。「デリケートな話題」とのことだけど、映画自体はプロットから演出からきちんとウェルメイドで楽しめた。日本で一般公開してもけっこう売れるんじゃないかな。ちなみに2009年の東京国際レズビアン&ゲイ映画祭っていう映画祭でも上映してたらしい。
ただもし日本で一般公開したとしても、同性愛のカップルの結婚を認めるべきかとか、同性愛のカップルを法的に認めるとしても養子をとることを認めるかどうかとか、そういう問題を(さりげなく)見せてる映画としてはみられないんだろうなーと思う。あくまで「デリケートな題材」だから。同性愛を扱う映画はそれだけでそれなりに人目を引いてる気がして、それ自体はべつに悪いことじゃないんだけど、LGBTはファッションじゃないよと思うんだけどなあ。

トゥー・エスプレッソ

トゥー・エスプレッソ

フランスで漫画を描いているベンジャミン。
いくつかの賞を手にし、漫画家としての名誉も得たはずの彼だが、
厄年を迎える現在、漫画へのモチベーションは薄れてしまい、自堕落な生活を送っている。
そんな彼の脳裏に浮かぶのは、
まだ売れる前、雨降るパリで一晩だけゆきずりの関係を持った日本人女のことだった―。
女の残したメモを手掛かりにベンジャミンは愛知県の片田舎の町へと降り立つ。
廃駅の町で小さな喫茶店や菜園を営む日本人家族と、
フランス人漫画家の、ちょっと奇妙で心温まる交歓を描いた、愛と再生の物語。

これ面白かった。日本のマンガっていうよりもバンド・デシネに近い(読むのも左から右)。画面はひたすら暗い。しかもコマの背景まで黒い。そして出てくる人たちはだいたいグダグダ。そんな美しいマンガ。ちゃんとオチもあるよ。
ところで今年厄年なんだけどおれは何を捨てたらいいのかな。

Drums

Drums

かりたもの。The Drums "The Drums". めっちゃさわやかです。夏のドライブによさそうです。
Joy DivisionやThe Smithの影響を受けたってwikiに書いてあるとおり、まあここ数年の80年代風の音のリメイクのひとつって言っていいと思う。たしかにペケペケしてるベースとかはニューウェーブの雰囲気はある。
ただし、暗さはゼロっていうかむしろ正反対。だって曲のタイトルが"Best Friend"とか"Lets Go Surfing"だよ。Jonas Brothers並みの清廉さっていうか優等生っぽさっていうか。少なくともボーカルは自殺なんかしそうにない。こっちのほうが100倍聴きやすいし100倍楽しい気分になれるのに、結局Joy Divisionが聞きたくなるのでした。


『オーケストラ!』を観た。渋谷にて。ブレジネフに刃向かったせいでクビになり清掃員をやってるロシアの元天才指揮者が、偶然のきっかけから当時のオーケストラ団員をひきつれてボリショイ劇場管弦楽団になりすましてパリ公演に向かうという話。
コメディとしても、音楽映画としてもすごく面白かった。ドタバタ喜劇の合間に流れる、救急車の運転手が奏でるチェロだとか、ジプシーのバイオリニストが弾くクラシックのフレーズとかが印象に残ってる。何かしら楽器やら音楽をやっていた人なら共感するところがある映画だと思う。そもそも観にいきたいと言い出したのが、大学でオケやってた人だったので。
あとはなんといっても、ソリスト役のメラニー・ロランが最高。しびれちゃう。

女友達から聞いたどうでもいい話。
彼氏(社会人1年目)がいろいろダメな感じらしく、その女友達は3か月に一回くらい「もう無理!別れる!」となるのを繰り返してる。この間また同じく「別れる!」となったのだけど、今回のはかなり沸点超えたようで本気で別れるつもりだったみたい。
おれは適当に「ふーん。よくそれで10カ月もったねー」なんて相槌をうってたら、数日後にやっぱり別れるのやめたとか。その代わりに、腕時計(値段不明)と、友達と旅行でダイビングに行く費用(15万円相当)を出してもらうことにしたんだって。彼の初任給ふっとぶぜそれ、と思ったけどちゃんと時計は買ってもらったみたい。さすがに旅行は渋りはじめたらしいけど。
おれにもしそんな彼女がいて、「もう無理!別れる!」って言われたら「喜んで!」って即答するね!って言ったらひどーいと言われた。
とはいえ話を聞いてるぶんにはおもしろいし別にその彼の肩をもつ理由もないので、「搾れるだけ搾って別れちゃえばいいじゃん」と言っておいた。言われなくてもそうすると思うけど。
ちなみに彼は「1年目だから夏のボーナスは出ない」と言ってるんだけど、その女友達はアヤシイと思ったようで、おれの知人(彼の同僚)に確認しといてよーと言われた。「1年目夏のボーナス出ないんすか?ほんとすか?」なんてアホな質問ができるはずもないので聞いてない。
世の中には殺伐とした関係もあるのだなという教訓を得たよ。

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

たまには読んだ本について真面目に書いてみる。マイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう―いまを生き延びるための哲学』。いまNHK教育で放送してるらしいね。うちテレビないんで見てないけど。
誰にでもすすめられる本だと思う。なんたって前提知識ほぼゼロで読める。もともと大学の入門講義だし、テレビで放送してるくらいですし。あとは、読者の関心をひくために、現在の問題にどう適用できるかについてかなりのページを割いている。アリストテレス、カント、功利主義者、リバタリアンロールズが一堂に会して、現在の問題について議論したら何というかを再現しているようなかんじ。
挙げられてる例もユーモアがあふれてる。クリントンがモニカ・ルインスキーとのスキャンダルのときに発した言い訳と、カントの道徳哲学の共通点を指摘するくだりとか。
あとこれはマイナーな点だけど、たいていこの手の本は功利主義リバタリアンを親の敵扱いするだけで大した役回りが与えられてないことがあるんだけど、この本では2つのロジックがいかに正反対かであるかをきちんと書いてていいと思った。
よくない点をしいて挙げるとすると、「現実にこう適用できるよ」っていう点は全体を通して目配りが利いてるんだけど、「そもそもなぜ「善を超越した中立的な正義」について人々は考えないといけなかったのか」だとか「それぞれの立場はどういう状況で生まれたのか」という点は省いている。いいかえると、歴史的視座はない。カタログ的っていうか。
そもそもこの分野になじみがない人が戸惑うのが、実証的な議論(○○は△△である)と規範的な議論(○○は△△であるべき)の違いがよくわからんという点だと思う。だいたいの人は実証的な議論に慣れてるので、規範的な議論をみると「で、結局それ意味あんの?」と思ってしまうと。一つの解決法はこの本が採用してるように現実の問題に結び付けることで、もう1つは知識社会学的な説明だと思う。歴史をスキップするにしても、実証的・規範的議論の違いくらいはどこかで説明してもよかったんじゃないかなあ。
ついでに言うと、リバタリアニズム功利主義のロジックの違いはきちんと説明してるんだけど、やっぱりちょっとリバタリアンについてはちょっと雑な気がする。フリードマンハイエクノージックを一緒くたにするのは無理がある。とくにフリードマンリバタリアン扱いするには、フリードマンの想定してる政府の役割は大きすぎる(ピンとこない人にはピンとこないんだけど、ケインズフリードマンの差なんてフリードマンハイエクの差に比べたらほんのわずかしかない)。
なんだかんだ書いたけどいい本であることは変わんないです。ふつうにおもしろいです。訳も読みやすい。
しかし「正義」と銘打った本がベストセラーになるとは、80年代に某法哲学者が「セイギ」のくすぐったさから書き始めたのを考えると隔世の感というかなんというか。

両面印刷可能な複合機は1万円くらいから。ADF(自動原稿送り装置)つきだと2万円強から。なかなかいいぞ。