これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

たまには読んだ本について真面目に書いてみる。マイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう―いまを生き延びるための哲学』。いまNHK教育で放送してるらしいね。うちテレビないんで見てないけど。
誰にでもすすめられる本だと思う。なんたって前提知識ほぼゼロで読める。もともと大学の入門講義だし、テレビで放送してるくらいですし。あとは、読者の関心をひくために、現在の問題にどう適用できるかについてかなりのページを割いている。アリストテレス、カント、功利主義者、リバタリアンロールズが一堂に会して、現在の問題について議論したら何というかを再現しているようなかんじ。
挙げられてる例もユーモアがあふれてる。クリントンがモニカ・ルインスキーとのスキャンダルのときに発した言い訳と、カントの道徳哲学の共通点を指摘するくだりとか。
あとこれはマイナーな点だけど、たいていこの手の本は功利主義リバタリアンを親の敵扱いするだけで大した役回りが与えられてないことがあるんだけど、この本では2つのロジックがいかに正反対かであるかをきちんと書いてていいと思った。
よくない点をしいて挙げるとすると、「現実にこう適用できるよ」っていう点は全体を通して目配りが利いてるんだけど、「そもそもなぜ「善を超越した中立的な正義」について人々は考えないといけなかったのか」だとか「それぞれの立場はどういう状況で生まれたのか」という点は省いている。いいかえると、歴史的視座はない。カタログ的っていうか。
そもそもこの分野になじみがない人が戸惑うのが、実証的な議論(○○は△△である)と規範的な議論(○○は△△であるべき)の違いがよくわからんという点だと思う。だいたいの人は実証的な議論に慣れてるので、規範的な議論をみると「で、結局それ意味あんの?」と思ってしまうと。一つの解決法はこの本が採用してるように現実の問題に結び付けることで、もう1つは知識社会学的な説明だと思う。歴史をスキップするにしても、実証的・規範的議論の違いくらいはどこかで説明してもよかったんじゃないかなあ。
ついでに言うと、リバタリアニズム功利主義のロジックの違いはきちんと説明してるんだけど、やっぱりちょっとリバタリアンについてはちょっと雑な気がする。フリードマンハイエクノージックを一緒くたにするのは無理がある。とくにフリードマンリバタリアン扱いするには、フリードマンの想定してる政府の役割は大きすぎる(ピンとこない人にはピンとこないんだけど、ケインズフリードマンの差なんてフリードマンハイエクの差に比べたらほんのわずかしかない)。
なんだかんだ書いたけどいい本であることは変わんないです。ふつうにおもしろいです。訳も読みやすい。
しかし「正義」と銘打った本がベストセラーになるとは、80年代に某法哲学者が「セイギ」のくすぐったさから書き始めたのを考えると隔世の感というかなんというか。