ビルマ料理屋で昼飯。バイキングでたらふく食って900円也。
食べたあとに、店主に30分ほどインタビュー。例に漏れず、88年-89年の民主化闘争で政治活動をしていた方だった。
ところで、いとうせいこうが自身のブログでこう書いている。

ミャンマー軍事政権が国内のインターネット接続を禁止したことについて、もう海外からのメッセージを出していても無意味ではないかみたいな嘆息がメールなどで幾つか届いた。
俺は、馬鹿じゃないかと思った。
政府が禁じたら国民は従うと思い込んでいるのである。
自粛国家・日本で暮しているとそれほどまでに想像力が貧しくなるのか。
情けない。

彼らは必死で闘っているのだ。
どんな手を使っても情報を得ようとするに決まっているではないか。
どれほど運動が沈静化して見えても、それは闘う側の方便に過ぎない。

ということで、インターネット接続が禁止されたときに、ビルマの人々はどうやって外部とコネクトしていたのかと伺った。いわく、「方法はある」と。しかし、「ここでは言えない」。とにかく何かしらの方法で抜け道を作って、彼らはなんとか情報を得たり発信したりしていたわけだ。