ハチミツとクローバー 1 (クイーンズコミックス)

ハチミツとクローバー 1 (クイーンズコミックス)

ソラニン 1 (ヤングサンデーコミックス)

ソラニン 1 (ヤングサンデーコミックス)

どういうわけか、最近『ハチクロ』と『ソラニン』を読んだ。ハチクロは面白くて、ソラニンは面白さがわかんなかった。言い訳しておくと、『ソラニン』は読んだっていうか義務的に読まされたってだけ。スタバでこれを読むときの羞恥プレイっぷりったらなかなかないぜ。
どっちも青春群像劇(とくにハチクロ)なんだけど、一点ものすごく違う点があると思った。ソラニンの薄っぺらさと、ハチクロのおもしろさをわける点のひとつが。
どちらも大学入学時から卒業後数年間一緒に「バカやった仲間たち」の人間関係を描いてるのだけど、ソラニンでは仲間たちの本心をわかりあってるのに、ハチクロでは表面上でだけふざけあってるだけで、それぞれが本当に何を考えてるのか・何に悩んでるのか実のところ知らない。どっちがリアルな人間関係に近いかっていったら、だんぜん後者だと思う。「みんなぼっち」っていうか。ハチクロのほうが群像劇の色がずっと強くて視点人物がコロコロ切り替わるから、っていうのを差し引いてもこれは大きい違いだと思う。
ハチクロを面白くしているもののひとつは、この「それぞれ苦悩していているのに、仲間たちもお互い実はその苦悩をわかりあってない」っていう点じゃないかと思う。そう思うと「バカやってる」ときのコメディタッチも意味が変わってくる。ソラニンにはそれがなく、帰る場所があり、わかりあえる仲間だとかなんとかそういうものがある。世の中そんなシンプルなはずがなく、ほんとの人間関係ってもっと複雑で、その複雑さを描いたハチクロのほうが物語の厚さがだんぜん違う。ぱっと見ハチクロはストレートな青春!仲間!甘酸っぱい!なマンガなのに、描いてるのはじつはスカスカな人間関係で、ハチクロってかなり斬新なマンガなんじゃないかと思ってる。
たしかに物語の性質がまったく違うっていうのはある。ソラニンで例外なのが種田で、種田は何を考えていたのかわからないまま向こう側に行ってしまう。その穴を埋めるべく物語が進むわけだけど、穴を埋めるためには残された仲間は一心同体でないといけない。ソラニンでは「わかり合わない役」は種田がすべて引き受けていたともいえる。物語の性質上、仲間はわかり合えないといけない。とはいえこういうふうに読んでも、「仲間はわかり合えるものだ」っていう想定は変わらない。それに死んだ仲間の穴を意志を継ぐ人が埋めてライブでイエーな話なんてクリシェすぎてやっぱハチクロのほうがだんぜん面白い。
ちなみに浅野いにおをdisるだけだとよくないので、だいぶ前にスピリッツ立ち読みしてたら、ちょうどプンプンが童貞喪失するところで、そこのエロ描写はすばらしかったことを付け加えておきます。