おお。亡くなる数年前のマクルーハン本人が出てる。
ところで、ウディ・アレン扮するコメディアン、アルビーが大学で漫談をするシーンで、ウディ・アレンは、大学を退学になった理由として「形而上学の試験でカンニングをしたんです。隣の学生の魂を覗いた」と言ってるんだけど、字幕では「心理学の試験でカンニングをしたんです。隣の学生の心理を読んだ」と訳されてる。心理学のほうがわかりやすいし、映画の中に心理学や精神分析のモチーフが頻出するので整合性もいいんだけど、べつにそのままでいいんじゃないか。映画の公開が1977年で、さらに一昔のことを回想として語っているわけだから、当時この映画を見た人にとっては形而上学のほうが大学くさい感じを惹起したのでは。それに、例にもれずインテリさをカリカチュアライズしているわけだし。そうだとしたらそれはそれで意味が通っていると思うんだけど。と思ったけど、哲学が大衆化する前の大学のイメージをかもし出すのは日本だけなのかな。